外食は、お気に入りの店の雰囲気の中で食も進み、家族や友人、恋人同士で楽しむことができるし、常連になればその店の店員や店主との会話を楽しみながら有意義な時を過ごすことができます。
しかし時には周囲の煩わしさから逃れ、一人もしくは友人や家族と自宅で誰憚ることなくゆっくりと食事を楽しみたい時もあるかと思いますが、だからといっていかに最近のコンビニ弁当の質が上がったとはいえ、さすがにコンビニ弁当ではちょっという感じです。
できることなら行列できるほどの人気店のおいしい弁当がテイクアウトできるのなら、それに越したことはありませんね。
ここではテレビでも紹介されたことのあるそんな有名店のお弁当を、シリーズとしてご紹介していきたいと思いますが、最初にご紹介するのは、芸術ともいえる美しい弁当を提供している「銀座の 鮨 青木」です。
『銀座 鮨 青木』の手毬鮨
筆頭に挙げるのが「銀座 鮨 青木」の「手毬鮨」で、これはもはや弁当というよりは芸術作品といっても過言ではなく、あまりに綺麗すぎて、箸を使うことにためらいを感じるくらいの作品です。
この手毬鮨は、急逝した父親から伝承された江戸前寿司の技術と心と、そして青木氏の天性とも言えるクリエイティブティが融合したことにより創出された傑作品で、もちろん見た目だけではなく、鮨一つ一つに店主青木氏の鮨へのこだわりが詰まっています。
このTwitterの画像をご覧になっただけで、多くの説明は不要と思いますので下手な講釈はこのくらいにしまして、このモチーフとなった「手毬」と、「鮨 青木」のここまでの道のりについて簡単に触れておきたいと思います。
・手毬の歴史
手鞠とは、日本古来の遊具・玩具で、当初は芯に糸を巻いただけの物でしたが、16世紀末頃より、芯にぜんまい綿などを巻いて弾力性を持たせ、その外周にきれいな糸を用いて幾何学模様に仕上げたのが手毬で、ソフトボールより少し大きいくらいのサイズです。
16世紀末といえば、ちょうど戦国時代の末期で関ヶ原合戦の直前という時期ですね。
明治時代中期以降になるとゴムが普及してきたことにより、現在のゴムボールに進化したわけですが、昔の手毬のほうが何か奥ゆかしくていいなと感じるのは私だけでしょうか。
何はともあれ、この手毬をモチーフとした手毬鮨の歴史は書物も残っていないことから明確ではありませんが、一説では京の舞妓さんが紅を気にしなくても一口で食べられるサイズの鮨を考え出したのが由来とされており、それが本当ならこの手毬鮨はその発祥が京都で、それを食した中心が舞妓さんなら時代は江戸中期ということになります。
そんな今から300年前からという古い歴史のある手毬鮨ではありますが、それを芸術作品のように仕上げたのは、やはり青木氏の創造力と父親から受け継いだ鮨作りの技術、そして鮨への情熱が融合したからこそ、あれほど見事な手毬鮨が完成したのではないでしょうか。
青木氏の経歴
現在、銀座の一等地に店を構える「銀座鮨 青木」ですが、その始まりは青木氏のお父さんが銀座の名店江戸前寿司で長年修行を積んで京都木屋町で店を開業し、その後再び銀座に戻って「鮨 青木」の店名でスタートされたのですが、開業してすぐにお父さんは急逝されました。
その当時、二代目の青木氏は29歳でお父さんの元で修行中でしたが、お父さんの急逝を受けて「鮨 青木」の看板を背負って立つことになったのでした。
後を継いだ青木氏は、見事に店を盛り上げ行楽シーズンになるとこなしきれないほどの予約でいっぱいになる人気店に押し上げましたが、そこまでの道のりは決して平坦では無かったことでしょう。
粋な江戸前の精神を一工夫・二工夫して鮨に生かした手毬鮨は味も見た目も一級品で、食した人の顔をほころばさずにはおれないことでしょう。
今回は東京銀座の「鮨 青木」のテイクアウト「手毬鮨」をご紹介しました。
次回以降もテイクアウトできる素晴らしい名店をご紹介していきたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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